流星☆オン・ザ・バイシクル(3)
◆
2日後、日曜日のこと。
ライはこの日は午後からバイトで、夕方の休憩時間のことだった。
今年ももう5月になってから久しい。傾いても日差しにはまだまだ熱エネルギーが込められていて、時折吹く生暖かい風が心地よく感じられる。
店の表に愛用のアウトドアチェアを出し、前を流れる川や行き交う人々をぼんやりと眺めていると、店のスタッフのひとりである山田が隣に同じように腰かけてきた。
「お疲れさんっ」という陽気な声とともに肩をぽんと叩かれる。
ライは声の主をちろっと見ただけで、すぐに前に顔を戻して答えた。
「山さん、お疲れです。作業終わったんですか?」
「ああ、何とかなー。あの自転車、ワイヤーもチェーンもたるんたるんに伸びきってやんの。何とかそのまま調整してやろうと思ったんだけど、だんだんイライラしてきて全部とっかえてやったよ。部品代高く付けてやる」
「へえ」
特に興味もなさそうにライは答える。そんな彼の様子に山田も特に気を悪くする素振りはせず、椅子に深々と座って持ってきた缶コーヒーのふたを開けた。
そして豪快な素振りで一気に中身を飲み干し、一呼吸おいてから、
「今夜さ、佐藤と鈴木と軽く走りに行こうって話してんだけどな。もし良ければだけど、ジン、お前も一緒にどうだ? 別にがっつり乗るわけじゃなくて、気晴らし程度だよ」
ライは景色に見入っているフリをして、すぐには答えなかった。
ライの他のスタッフである山田、佐藤、鈴木の3人もまたロードバイクを駆る走り屋であり、仲の良い彼らがしょっちゅう一緒に走りに行くのにライも誘われるのは珍しいことではなかった。
しかし、この3人は全員一応走り屋を自称している身であるため、行く場所も内容もまた、彼らの自負に見合った高強度コースであることがほとんどだ。峠、インターバル練、周回コース――ライもまた競技部時代に嫌というほど馴染んだ言葉ではあるが、これ以上レースをする気のないライは当然そのような走り方をするつもりももはや失っている。誘われていくとしたら、せいぜい慣らし程度の近場サイクリングだけだった。
今回もつまりそういうわけだ。トレーニングであればライが来ないのはわかりきったことであり、修練目的を含まない軽い走りだからと山田は誘ってきたのだ。
道行く人を5、6人ほど観察してからライは答えた。
「いいですよ。俺も行きます」
「よし。じゃあ店閉めたら着替えて直行だな! って言ってもお前は格好そのままだから着替えるのは俺たちだけか。ジンが来てくれんのはレアだからなー、ワクワクするぜ。早上がりしてもう行っちゃうか」
はやる胸の内を抑えきれない様子の先輩を見ながら、ライはひとコンマ置いて、思い切ったように言った。
「俺も着替えていきます」
「……え?」
口を解かれて空中を狂喜乱舞する風船のように興奮が飛んで行ってしまったかのようで、山田はぽかんと固まった。
ライはそんな先輩の驚愕を気にする様子も見せず、
「いや、ちょっと気が変わっただけです。たまにはしっかり自転車乗るにもいいかなと思って。久々にレーパン履きたいし」
「お、おう。ま、別にそりゃ構わないんだがな」
「だから、店閉めたら一回家帰るんで、ちょっとだけ待っててもらえますか?」
「構わねえぜ。でも、一体どういう風の吹き回しだ? お前がレーパンで来るなんて、珍しいじゃんか。ていうか、大学入ってからは初めてだよな?」
山田の言葉通り、ライは競技部を引退して以来、サイクルウェアで自転車に乗ったことは一度もなかった。
着る必要がなかったというのが最大の理由であり、つまり、自転車に乗るとすれば大学に行くか近場をのんびりと走る程度で、レースに出ることはおろか長距離サイクリングに行くことすらなかったライにとっては普段着で十分だったのだ。
それが突然、これまた気晴らし程度のサイクリングであるのにウェアで来るというのだから、山田が驚いたのも無理はない。
「ま、そういうことになりますけど……。特に大した理由じゃないですよ。ただほんと、何となくです」
ライが困った顔で答えると、山田は突然にんまりと笑った。
「つまり、あれか。一昨日の姉ちゃんの言葉に触発されたってわけか」
「うーん。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし――って山さん、何でそんなニヤニヤしてんですか」
「いやあ、別に。ただ、羨ましくてなー。気持ちはわかるぜ。俺だって、あんな可愛い姉ちゃんに自転車に乗ってる姿が見たいなんて言われれば、チーターが獲物に飛びつくのよりも速く自転車に乗らない自信はないぜ」
ライは口をあんぐりと開けて山田を横目で睨む。
「そういうことじゃないですから。ただちょっと、久しぶりに走ってもいいかなって気分になっただけです。それに、山さんの場合は姉ちゃんじゃなくて彼女でしょ」
「うるせー。彼女がいないのはお前だって一緒だろ」
「んん? 何のことですか? 俺には姉ちゃんがいますもん。先輩よりは女っ気ありますよ」
「このシスコン野郎が。それなら俺にだって自転車があるさ。走り屋に女はいらないって言うしな」
「それは悲しい」
そうして営業時間終了とともに店を飛び出したライは、この日は家から直接歩いて来ていたため、小走りで家へ帰った。
サイクルウェアに着替えて、5分と経たずに愛用のロードバイクとともに家を出る。箪笥に眠っていたウェアは1年ぶりとは言え、自転車競技を始めてから競技部引退までは毎日のように来ていた服だ。感触は昔と変わらない。違和感もなく着こなせる。
道路に出て車上の人となったライは、専用ウェアで自転車と一体化する久しぶりの感覚に懐かしさと新鮮さが混ざったような不思議な気持ちになった。
そして、既に準備万端で店前で待っていた山田たち3人と合流し、そこで荒川の心霊ライダーの話を聞くこととなる。
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