自転車×ファンタジーでラノベを書く

自転車界に激震が走る――かはわからない――自転車ファンタジーストーリーを書きたい!

流星☆オン・ザ・バイシクル(9)

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 ◆ 

 

 小泉に連れられ、ライは団地の中では端の方、川沿いから団地の中へと続く道路沿いで川に一番近い位置にあるマンションの前まで来た。

 

 高級感溢れるガラス張りのロビーの前で待たされることおよそ5分。少なくとも自分の住んでいるマンションの倍の価格はしそうな家々に囲まれて落ち着かない気分でいると、ショートパンツに春っぽいTシャツという動きやすそうな格好に加えて、何故か指切りグローブにサンバイザーという出で立ちでロビーの奥からやって来る小泉の姿が目に入る。

 

 帰ってくるときに乗っていたシティサイクルはマンションの自転車置き場にしまっていったはずだが、小泉はまた別の自転車を押して来ていた。自転車を部屋で管理するというのは一般的には自転車乗りしかしないことだから、小泉のそんな姿には違和感を覚える。何のつもりだろうと眺めていると、その自転車の姿をはっきりと捉えたところで、ライは思わず「お」と感嘆の声を漏らしてしまうのだった。

 

 「じゃーん! どう? 私の自転車。大学に入ってからバイトしてお金溜めて買ったんだ。ロードバイクは怖いから、クロスバイクにしちゃったんだけど。ジン君は、クロスバイクは興味ない?」

 

 誇らしげながらも少し不安げに表情を伺ってくるような小泉が支えている自転車を、ライは興味深げに眺める。そして、小泉の格好にも納得がいくのだった。

 

 全体的にロードバイクほど細くはないが、シティサイクルよりは抜群にスラリとした細身のフラットバーハンドルバイク。エントリーモデルとして人気の高いGIANT製クロスバイクだ。 

 

 ホイールは純正のままで、パッと見る感じは自転車の世界に長く身を置いている者の目にはごく普通のクロスバイクに映る。それでも、さわやかな水色のフレームに合わせて同色のラインが入ったタイヤに変えられていたり、コラムスペーサーから各所ボルト、ボトルケージなど、あちこちに水色のパーツがさりげなく使われていたりするこだわりをライは見逃さない。

 

 スタンドのついていない自転車をハンドルステムを掴んで支える姿勢や、身長にあったサドル高。しっかりと掃除され、整備もされていることを伺わせるその綺麗な自転車からして、小泉が玄人とまではいかずとも、少なくとも『自転車好き』としてこのクロスバイクに乗っていることは、これまでたくさんの自転車乗りと関わってきたライには一目瞭然だった。

 

 「あーれ。小泉って、自転車好きだったっけ?」

 

 そこにいるだけで見せつけられているような感をもよおす健康的な肢体の持ち主を見ながらライは言う。

 

 少なくともライには、高校で小泉から自転車が好きだというようなことを聞いた覚えはなかった。それだけに、小泉の口から『ロードバイク』や『クロスバイク』といった専門用語が出てきたのは意外だったのだ。

 

 小泉は少し照れているように笑いながらも自慢げといった様子で、

 

 「ううん、好きになったのは、大学に入ってからかな。でも、高校のときから興味はあったんだよ! ずっといいなーって思ってて、最近になってやっと始められたって感じ! ほら、ジン君が乗ってるような本格的な自転車ってすごい高そうなイメージだったし、それに、スピードもすっごい速そうだし、私にはちょっとハードル高いかなーってずっと思ってたんだけど、調べてみたら、クロスバイクならそこまで高くもないしロードバイクよりは手軽に始められそうだし、私でもできるかな、って思うようになったの。それでそれで、大学入ってからバイトしてお金貯めて、去年の夏に買ったんだ!」

 

 「へー」

 

 表情に乏しいせいで一見無関心そうに見えるが、ライはこれまでの小泉のどのセリフよりも集中して耳を傾けている。

 

 「でね、でね、正直言って最初はちょっと怖かったんだけど、乗ってみたらこれがすっごい楽しくて! 自転車ってこんなに面白かったんだ、ってもうほんとに感動しちゃって。うーん、何て言うんだろ。この私の感動を表してくれる言葉は……ううん、すぐには見つかんないな。でも、うん、もう、何だろ。ほんとに楽しい、って感じ! すっごい面白いの。あまりの感動に、夜ひとりで泣いちゃったくらい」

 

 楽しいや面白いといった言葉をこの数秒間で何回聞いたかという疑問はさておき、ライはこのときばかりは小泉に多少なりとも興味を持たざるを得なかった。

 

 自転車乗りの輪からは外れた存在だと思っていた人物がいつの間にか近い距離になっていたのだから驚きだが、これも自転車を好く者としての性というものだろう。うるさいほど喋る女子だろうが誰だろうが、自転車好きと知ったら興味を持たざるを得ない。

 

 「ふーん。じゃあ何、今はサイクリングサークルとか入ってるわけ?」

 

 「そうそう、よくわかったね! そうだよ、大学のサイクリングサークル入ってるよ。去年は合宿で長野に行ったりもしたんだ。あ、でも、サークルはどちらかと言えばただ入ってるだけって感じかな。ううん、合宿も行ったし定期的に顔出してもいるから幽霊部員ってわけじゃないんだけど。サークルはどちらかと言えば、誘われたから入ったって感じかなー。あ、いや、別に興味なかったとかって、そういうんじゃないんだけどね。えっと、つまり、何が言いたいかって言うと、サークルにも入ってるんだけど、他のチームっていうか、集まりって言うのかな? 他で知り合った人たちとよく一緒にサイクリングしてるんだ!」

 

 「ショップのチームみたいな?」

 

 「そうそう、ショップのチームみたいな! ううん、正確にはショップのチームじゃないんだけど、ショップじゃなくて、代わりにある人が中心になってるって言えばいいのかな。その人がいろいろサイクリングのイベントを企画してて、私もそれによく参加してるの。そこで知り合った人たちって感じ! それでね、その主催者の人が荒川走ってる人たちの中ではけっこう有名な人なんだけど、もしかしてジン君も知ってるかな? ……魔人って呼ばれてるんだけど」

 

 小泉は自分で言ったことがおかしそうに笑い、ライは思わず眉を八の字に寄せて最後の部分を聞き返しそうになった。

 

 『魔人』などという名前のついた人物は思い当たらない――っていうか、何だその、ふざけた名前は。

 

 「本当はソータロウさんっていう名前みたいなんだけどね。魔人ソータロウだなんて、自分で言ってるから」

 

 小泉はくすくす笑いながら付け足した。

 

 自分を魔人などと名乗るとは相当に風変わりな人物なのだろうとライは想像する。ソータロウにしたって、ライの記憶の中に思い当たる人物はいない。

 

 「あいにくだけど魔人は知らねーな。そんな変な名前の奴、聞いたこともない」

 

 ライが素直にそう言うと、小泉は少し意外そうに、

 

 「変な名前の奴って。ププッ、確かにその通りだけど、一応年上の人だよー。でも、そっかー。有名な人だから、もしかしたらって思ったんだけど。レースとか本格的にやってる人たちにはそんなに知られてないのかなあ」

 

 「かもな。競技部ではそんな話聞いたことないからな」

 

「えー」

 

えー、と不満そうな顔をされてもないものはないのだから困る。

 

ライはしかし、魔人ソータロウに関しては何も知らないが、この話を聞いてふと思い出したことがあった。

 

 (荒川の幽霊ライダーは周辺の走り屋の間ではちょっとした有名人になってるみたいだ――)

 

 2日前に夜の荒川でブロンドの乗り手に会う前、先輩3人と幽霊ライダーの話をしていたときに山田が言ったセリフだ。

 

 まだブロンドの乗り手が件の幽霊ライダーだと決まったわけではない。でも、自分の体験した事実からして、その可能性が高いとライは踏んでいる。この際ライにとっては、幽霊なのかそうじゃないのかという問いは意味を成さない。重要なのは、あのとき途方もないなスピードで自分を抜いて行ったブロンドの乗り手が何者であるかということだ。そして、そのブロンドの乗り手と幽霊ライダーと呼ばれている存在の間に少なくとも何かしらの関連性があることは公算大だ。

 

 

 ――あのときのMAXスピードは64キロ。

 

 

 ――それを軽々と抜くスピードとは――70キロ。もしくはそれ以上。

 

 

 ――暗闇に輝く、金の髪……。

 

 

――(荒川走ってる人たちの中ではけっこう有名な人なんだけど)――

 

 

 ――(ちょっとした有名人になってるみたいだ)――

 

 

 何かいい案が頭の中で浮上してくるような気配があったが、ライはそれを奥に押しとどめておいた。

 

 久しぶりに再会した高校の同級生との会話にいきなり実態のよくわからない話題を持ち出すのははばかられる。

 

 代わりにライは、束の間口を閉じていた小泉がまた高速連射を始める前にこう提案した。自転車好き同士、知り合ったら言い出さずにはいられない常套句のようなものだ。

 

 「とりあえずさ、グローブも着けてきたってことは乗るつもりで来たってことだろ? やっぱファミレスはなしにして、ちょっと走りに行こうぜ。自転車持ったまま乗りもしないで話してるのは疲れる」

 

 すると、眩しいほどに白い肌が映えるライの童顔同級生は待ち望んでいたようにスマイルマークの如く笑み、モーターが異常回転し出したかのように首を何度も縦に振るのだった。

 

 

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