自転車×ファンタジーでラノベを書く

自転車界に激震が走る――かはわからない――自転車ファンタジーストーリーを書きたい!

流星☆オン・ザ・バイシクル(5)

 

 ◆ 

 

 大通りを東へ。車の少ない夜道を20分も進めば、東京と埼玉の県境辺りを流れる荒川に出ることができる。

 

 一行はちょうど荒川沿いに続くサイクリングロードの南端、東京湾を背にする広大な河口が見渡せる地点に入ったところで一度止まった。

 

 この時期はまだ夜気はひんやりとしている。一行の懸念通り、河川敷はほとんど明かりもなく真っ暗でどこに川が流れているのかもわからない。真っ黒な空間の先の向こう岸には川に沿って高速道路の陸橋がずっと続いており、ちらちらと光る粒のように走る車が見える。遠く先で河口の両岸を結んでいる大きな橋だけが輝く巨大なモニュメントのように存在感を放っていた。

 

 「さあて。来てみたはいいがやっぱり暗いな」

 

 山田は闇に包まれる道の先の方を眺めながら言った。

 

 「夜だしな」

 

 佐藤が他人事のように言うと、鈴木が不安そうに、

 

 「本当に暗いなー。まさかこんな時間にここに来ることになるとはね。この暗さん中走れるのか?」

 

 「どうだろうな。ま、行ってみなきゃわからんだろ。百聞は一走にしかずって言うし、とりあえず走ってみようぜ」

 

 山田がそう言って先陣を切り、これまで通り鈴木、佐藤、ライの順で続いた。

 

 土手を下ってサイクリングロード本線に乗り、上流方面に向かって走り出す。これまで乗っていた土手が高い壁となって街の光を遮り、辺りはより一層暗くなったように感じられた。

 

 道に沿って所々に佇むようにしている街頭はどれも暗闇の中でぽつねんとしていて頼りない。4台の自転車が放つテールランプの赤い光とヘッドライトの眩い白光だけが、異界の中で際立つ侵入者の様相で煌々と輝いている。

 

 「うーっわ。全然見えねーわこれ」

 

 山田が叫んだ。その声には半笑いの響きが混じっている。あまりの視界の悪さに思わずおかしくなってしまったのだろう。

 

 その気持ちは鈴木と並んで走るライも同じだった。前に山田と佐藤が並んで走ってくれているため、後ろにつけばいいだけの分前のふたりよりは楽だが、それでもこの圧倒的な暗さによる居心地の悪さを拭いきるには到底及ばない。

 

 自車のヘッドライトのおかげで前のふたりの周囲はスポットライトに照らされているようによく見えるが、何分暗さが暗さだ。前2台のテールランプも威嚇してくるかのように眩しく、ふたりの背中越しに見える前方の景色は濃紺の夜空しかもはや色を成していない。

 

 街灯の下を潜ったときに一瞬確認できたサイクルコンピュータの画面によると、時速はおよそ20km/h前後。ライの体力的にはペダルに足を乗せているだけでいいようなペースだが、視覚的にはこれがいっぱいいっぱいである。

 

 「マジで暗えな! 危ねえよこれ。ジン、大丈夫か?」

 

 隣にいる鈴木に問われ、ライは前を向いたまま答える。

 

 「大丈夫ですよ。暗いけど、これくらいのペースなら何とか走れないこともないし。それに、俺らは山さんたちについて行けばいいだけですしね」

 

 「おい、ジン! お前先頭交代する気ねえのかよ!」

 

 すかさず山田からツッコミが入った。

 

 「ないですよー。前見えないの嫌だし。ハハ」

 

 軽くあしらい、ライはふと視線を横にずらした。

 

 真っ暗な空間を隔てて視界の奥に見えるのは、高速道路の光だけだ。休日の昼間ともなるとたくさんのサイクリストやジョガーで活気あふれるこの道も、この時間では人っ子ひとりいないどころか何も見えない。河川敷に広がる草むらや広場には初夏という時期もあって虫がいることも想像できるが、何しろあらゆるものが闇に覆われているため、生き物の気配すらも隠されてしまっている。

 

 空間の大半を支配するのはゴーゴーという風の音。それに混じって高速道路を走る車の音が微かに聞こえてくる。

 

 

 ガコン、ガコン――。

 

 

 変速。虚空に響く金属音。

 

 刻々と変わる風の流れに合わせてリズムを変えつつ、4人はゆったりと進んでいく。

 

 ライは以前は何度もここへ来たことがあったが、暗くて景色が見えないため現在地を把握することが難しかった。大学に入ってからは一度この日と同じメンバーで来たきり。その時は昼間で、先輩3人と談笑しながら河口からおよそ20km地点にある岩淵水門までゆっくりサイクリングをしたのだった。

 

 河口から5kmほど走っただろうか。この日は皆いつにもまして周囲に気を配りながらの走りであり、また夜のサイクリングロードという非日常的な空間の雰囲気に浸っていたのだろう。ここまで一貫して口数が少なかった。

 

 「幽霊ライダーどころか誰もいないじゃんかよー。佐藤、本当にいるのかよ。幽霊」

 

 ふと鈴木が愚痴っぽく言う。

 

 「俺に言われてもな。知らねえよ」

 

 佐藤は素知らぬ顔だ。

 

 ダラダラと走っている最中にふと火が入ったようにライは先頭へ躍り出た。せっかく装備を固めて出てきたのだ。曲がりなりにも元競技者として、レーシングスーツに包まれていれば多少は思い切りペダルを踏んでみたくなるものである。

 

 後ろで驚いたような声を上げる山田たちをよそに、フロントギアをアウターに切り替え、リヤも数段上げる。ダンシングでトルクのある数踏み。一気に40km/hほどまで速度を上げる。

 

 道がひたすらまっすぐで、多少目が暗さに慣れてきたおかげだ。前から見れば眩しすぎるほどのヘッドライトのおかげもあって、この速度なら何とか維持できる。

 

 シッティングに戻ると、そのままのペースでしばらく進んだ。夜風がひんやりよしていて心地よい。暗闇の中を走るのは、どこか遠い見知らぬ土地を走っているかのようだ。静寂になれずそわそわさせられるとともに、妙な高揚感を煽られる。

 

 ライは今までに味わったことのない、不思議な気分に陥った。

 

 レースからはずっと身を引いていた。競技部を引退するとともにもうしないと決め、その気持ちは今も変わっていない。

 

 でも、必ずしも自転車イコールレースというわけではない。レースをせずとも自転車を楽しむ方法はいくらだってある。ポタリングしかりサイクリングしかり。レースという各人の宿望や熱情が炎の嵐のように絡み合う戦場から離れ、こういった和やかな場所で多少踏んでみるのも悪くはない――。

 

 ライはふと、自分が依然として自転車を好いていることに気づかされるのだった。レースをやめたところで、自分は自分。自転車は自転車。頭では考えていなくとも、近くに入れば身体が勝手に引き寄せられてしまう。自分は自転車とは、切っても切り離せない関係なのだ――。

 

 さらに踏み込みたくなった。この程度の速度は大学に行き帰りの巡航速度に過ぎない。レースでもなければこれ以上出す必要もなければ出す気も起きないが、不思議なことに――今はもっとスピードを出したい。風を感じたい。車体の剛性を感じたい。タイヤのグリップを感じたい――。

 

 下ハンに持ち替え、ダンシングで踏み込む。全力を出せるような状況ではないから、あくまで7割程度の力だ。一気に加速して、後ろを千切りにかかる。

 

 1年間溜めに溜めてきた鬱憤を晴らすが如くもっと出力を上げることもできたが、いく分早めに切り上げることにした。

 

視覚を中心とした身体能力的にこれが限界だ――障害物でもあったらぶつかっちまう。これ以上はさすがに危ねー。

 

 足を止め、惰性走行に入った――そのときだった。

 

 ライは最初、先輩3人のうちの誰かが追いついてきたのかと思った。しかし、それにしてはあまりにも速く、優美だった。

 

 40km/hから踏み込み、体感によるところの速度は50km/強。この速度を簡単に越えられる人物は、ライの知るところでは少なくとも晴海サイクルのスタッフの中にはいない。

 

 次に出てきた言葉は車――しかし、それも違う。横を過ぎ去った影は明らかに人である。自転車に乗った、人だ。

 

 スーパーディープホイール特有の走行音が、後ろから迫ってくる突風のようだった。しかし、その風は近くにいる者に圧を与えることはなく、超高解像度の立体映像のように滑らかに現れた。

 

 

 ――荒川の幽霊ライダー!

 

  

 初めてその言葉がライの頭に浮かんだのは、その人物が既に10m前方まで過ぎ去ってからのことだった。

 (続く)

 

 

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